〜宮﨑県北〜おいしい給食のヒミツ
 

 給食をみんなでモリモリ食べて大きくなろう。
お父さんもお母さんも給食で大きくなったんだよ。その証拠におうちの人に給食について聞いてごらん。
何十年も前に食べた給食の思い出がいっぱい出てくるから。
きょうは、おいしい給食の秘密を大公開するよ

 地元で出来たものがいっぱい

 延岡市の東小学校の調理室に、たくさんの野菜が運ばれてきたよ。みんな、地元で採れた野菜ばかり。
 この日は「地産地消」の給食の日。地産地消って知ってる? 地元でとれた食べ物を、その地域で食べてしまおう(消費)ということだけど、とれたての食べ物は新鮮でおいしいから、とっても好評なんだ。それに、輸送するためのガソリンや費用も少なくて済むし、なにより、地元産ということで、安心して食べられるのがいいよね。
 ただ、一度に集められる量に限りがあるから、給食で「地産地消」をやるのは月に1回ほど。みんなが地元のものをもりもり食べれば、地元で作る量も増やせるから、地産地消も増やせるようになるんだって。つまり、みんながいっぱい食べれば食べるほど、おいしい給食もどんどん増えるということだね。
 

 

 

 

 

地元で出来たものがいっぱい

  恒富小学校では、給食の授業があったよ。1年3組では、給食の歴史を勉強したんだ。最初の給食は明治22年、山形県の私立小学校で、貧しい子供たちのために出されたんだ。おにぎりと塩ジャケと漬物だけの質素なものだったんだって。そのあと、戦後になって、今の給食が始まったんだ。最初は脱脂粉乳とパン。そのあと、飲み物が牛乳になったりデザートが付いたり、少しずつおかずが増えていったんだね。

 

 昭和29年に学校給食法が制定されて国から補助金が出るようになって、給食は急速に広がった。それまでは、給食を実施するために、保護者や地域、学校でとても苦労していたんだよ。
 昭和30年代には牛乳が、昭和50年代からは米飯給食が導入された。ここまで来ると、今の給食にかなり近いね。みんなのお父さん、お母さんはどんな給食を食べていたのかな。

 

 

私たちの給食は
どんな風にできているの

日向市の丸山牛乳では毎日、おいしい牛乳が作られていたよ。県内の農場の牛たちから絞られた牛乳が工場に集められ、殺菌された後に次々とパック詰めされていくね。この工場では毎日2万5000本もの学校給食用の牛乳が作られているんだ。ここで作られた牛乳が毎日、県北の小中学校に届けられるんだよ。


 人間の骨は大人になったら増えない。だから子供のうちにしっかりつくらないといけないんだ。牛乳は吸収されやすいカルシウムがたくさん含まれているから、丈夫な骨をつくるのに欠かせない。みんなは牛乳をいっぱい飲んで、丈夫な骨をつくってね。
 各学校の給食室では、給食の先生たちが朝から給食づくりにてんてこ舞い。給食は作り置きができないので、毎日朝から給食の先生たちが手作業で料理するんだよ。栄養士の先生が考えたバランスの良い献立を、給食の時間に間に合うように何百人分も作るんだ。門川町と日向市の給食センターでも、給食の先生たちが給食を手際よく作っているんだよ。みんな手作りで、愛情もいっぱい詰まっているから、おいしいんだね。

 

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