郷土の歌人 若山牧水

郷土が生んだ歌人・若山牧水が他界して、すでに83年の歳月が流れた。
今なお牧水の歌は多くの人に愛誦され、私たちの心をとらえて離さない。牧水の人生をたどり、その折々の歌、県北にちなむ歌を紹介する。

誕生、坪谷から延岡へ 


明治18年(1885)8月24日、現在の日向市東郷町坪谷で、医師の若山立蔵・マキ夫妻の長男として誕生。本名繁(しげる)。歳の離れた3人の姉がいる。
坪谷小卒業、延岡高等小(現延岡小)へ通学(10歳)。明治32年4月、県立延岡中(現延岡高)入学。在学中に短歌を詠み始める。
「牧水」の号は同36年秋ごろから用いる。母親・マキの「牧」、「水」は「渓」や「雨」から。

「早稲田の三水」、旅・酒・恋


明治37年4月(18歳)、早稲田大入学。級友の中林春人(蘇水)、北原隆吉(射水=白秋)の3人で「早稲田の三水」と名乗る。親友の石川啄木は白秋の紹介で知り合い、のちに啄木の臨終に立ち合う。
明治40年6月、中国・九州を一人旅。酒もおぼえた。このころ園田小枝子との恋愛始まる。二人で武蔵野などを歩いたが、千葉県最南の根本海岸へは小枝子の従弟・赤坂庸三も同行。のちに三人の関係があやしくなり、5年の時を経て破局。その間、窪田空穂門下の石井貞子にぞっこん、熱烈なラブレターを送っている。細島の日高秀子にも恋心を抱いたが、間もなく秀子は死去。
「けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く」
「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」
「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」
「白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君」
「ふるさとのお秀が墓に草枯れむ海にむかへる彼(か)の岡の上(へ)に」

歌集と詩歌雑誌出版


明治41年7月、第一歌集「海の聲」出版。牧水の名を一気に高めたのは同43年4月出版の第三歌集「別離」。身長156センチの小柄な牧水が、以後、歌壇の大きな存在に。同年3月、詩歌雑誌「創作」第1号出版。寄稿者は尾上柴舟、窪田空穂、前田夕暮、北原白秋らそうそうたるメンバー。20号で休刊。大正2年(1913)復刊するも翌年再び休刊、大正6年再度復活。

太田喜志子と結婚、

父の死去、沼津へ転居


明治44年の夏、太田喜志子と出逢い翌年5月5日結婚。牧水26歳、喜志子23歳。結婚2カ月後の7月「父危篤」の電報。東京に喜志子を残し帰省。同年11月14日、父・立蔵他界。前後して喜志子妊娠の報。翌大正2年4月24日、長男・旅人(たびと)誕生。5月14日、坪谷を出て岩城島(愛媛県上島町)に滞在、6月18日帰京。この時期、父の死や今後の生活などで悩み、破調の歌が目に付く。
「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり」
「納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝が意志をまぐるなといふが如くに」
「人がみなものをいふうとましさよ、わがくちびるのみにくさよ」

大正9年8月(35歳)、東京から静岡県沼津町(現沼津市)に転居。子供は長男・旅人、長女・みさき、次女・真木子、次男・富士人の4人に。歌人として世に出たころは赤貧にあえぐ日々。それは転居後もしばらく続いた。

「抽匣(ひきだし)の数の多さよ家のうちかき探せども一銭もなし」
「三日ばかり帰らむ旅を思ひたちてこころ燃ゆれどゆく銭のなき」

大正12年ごろから仕事が増え、生活はいくらか楽に。沼津市市道町(いちみちまち)に約500坪の土地を買い、同14年10月新居完成。

昭和3年9月17日、逝去


大正13年(1924)から昭和2年(1927)にかけ、各地で揮毫(きごう)会を開く。昭和2年7月の延岡での揮毫会が最後。

「なつかしき城山の鐘鳴りいでぬをさなかりし日聞きしごとくに」 
揮毫会後に里帰りして、7月末には沼津に戻ったが健康を害する。昭和3年9月に入り、衰弱がひどく13日には重態に陥る。9月17日午前7時58分、帰らぬ人に。享年44。
弔辞は北原白秋が読んだ。墓所は沼津市の乗運寺。


「酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を」(最後の歌)

自然、人を愛した歌人・牧水


牧水は自然のすべてが友だった。また人を愛し、家族・友人・知人を大事にした。そして酒と旅を好み、まめに日記、メモする人だった。
「上つ瀬と下つ瀬に居りてをりをりに呼び交しつつ父と鮎は釣りにき」
「釣り暮し帰れば母に叱られき叱れる母に渡しき鮎を」
「おとなりの寅おぢやんに物申す永く永く生きてお酒飲みませうよ」

15の歌集と紀行文


生前に出版された歌集は14。第1歌集「海の聲」から順に「独り歌へる」「別離」「路上」「死か芸術か」「みなかみ」「秋風の歌」「砂丘」「朝の歌」「白梅集」「さびしき樹木」「渓谷集」「くろ土」「山櫻の歌」。死後10年を経て喜志子夫人と高弟の大悟法利雄とで第15歌集「黒松」を出版。紀行文は「比叡と熊野」「みなかみ紀行」など。ほかに選歌集などもある。(文中敬称略。年齢は死亡時を除き満年齢)

 

 

■日向市東郷町坪谷の牧水生家。160年ほど前、牧水の祖父・健海が建てた。今もほとんど当時のまま残っている。(県指定文化財)


 


 

 ■少年時代の牧水(右)延岡高等小2年

■ 牧水の父・立蔵と母・マキ




 ■「早稲田の三水」左から北原射水(白秋)、

中村蘇水、若山牧水

■牧水の家族。左から牧水、みさき、真木子、旅人、

富士人、喜志子夫人

 ■自宅書斎で選歌中の牧水