西郷さん富高1泊説
薩軍の最高指揮官・西郷隆盛は、戦況悪化により7月31日、宮崎の帝釈寺を出発して都農の枡屋河野宗平方に宿泊、8月2日朝、都農を出て同日夕方、延岡大貫の山内善吉方に着いた。
ところが延岡に入る前日、西郷さんが富高に1泊したという記録があるのだ。塩見の正法寺に残る「年中日誌」には、8月1日夜、西郷さんは富高の生薬屋・佐藤仙吾方に1泊したことになっている。
都農から延岡までは約40キロ。未明に出発すれば夕方に着くのは可能と思われるが、当時は今のように整備された道などない。しかも、耳川は渡し舟、門川の中村からは延岡の三須に抜ける山道へ迂回している。
また西郷さんは、移動するときには輿(こし)に乗っていた。その速度にもよるが、当時の40キロの道のりを、半日でこなすのは少々無理があるような気もする。
だが、西郷さんの居場所や移動は、秘密裡に行われていたことから“影武者”がいたのも事実。富高に泊まったのは、この影武者だったかも。目下、西郷さんの富高1泊説は、黒白がついていない。
ところで、佐藤仙吾宅は日向市役所の前、現在はパチンコ「西の丸」の駐車場になっている。
 「正法寺年中日誌」は、幕末から明治にかけての貴重な記録であり、日向市の文化財に指定されている。