可愛岳を突破、鹿児島へ

1877年8月17日 可愛岳を突破、鹿児島へ

官軍は俵野をぐるりと囲み、アリのはい出るすき間もないほどです。そこで辺見と河野は、急しゅんな可愛岳(えのたけ)を突破して、三田井(高千穂)を目指すことを提案します。西郷はこの案を受け入れますが、これは危険な賭けでした。
 17日夜10時ころ、西郷以下500人余は、村びと数人の案内で俵野を出発、官軍の隙をつき、見事に可愛岳越えに成功します。一行はさらに上祝子(かみほうり)、三田井、神門(みかど)、小林を経て9月1日、鹿児島に戻り、城山に立てこもります。それにしても、けもの道しかないような山岳地帯を、わずか2週間で踏破したのですから、その速さに驚かされます。