西郷自刃、西南戦争終わる

1877年9月24日 西郷自刃、西南戦争終わる

 西郷は城山で最後の戦いに挑み、銃弾をあびて負傷し、切腹します。そして介錯(首をはねること)を別府に頼んで果てます。享年51。222日に及んだ日本最後の内戦、西南戦争は終わりました。
薩軍死傷者15000人余(田原坂の慰霊碑刻銘死者7186)、官軍16000人余(同6923)に達し、薩兵の中には13・14歳の、まだあどけなさが残る少年も命を落としています。このほか、戦争の巻き添えで亡くなった人も多数います。


失われた頭脳、財産

 この戦争は、政府による密偵派遣や旧藩所有の武器・弾薬搬出など、挑発とも受けとれる行為に、私学校徒が憤激したのが引き金になっています。中には「戦争を避けて政府と談判すべきだ」と主張する者もいたのですが、結果は戦争の道を進み、尊い人命、優秀な頭脳や財産、文化遺産なども失われました。
私たちの住む県北も例外ではなく、最後の内戦・西南戦争の舞台となり、延岡隊だけでも80人の犠牲者を出し、破産者が出るなど地元経済も混乱したのです。西南戦争が残したものは何か、当時の人たちは何を感じていたのか、西郷生誕180年を機にもう一度考えてみたいものです。     



 

今も供養に訪れる人が絶えない西南戦争戦没者の墓。
右は薩軍墓地(日向市余瀬)左は官軍墓地(日向市細島)