田んぼの中の一軒車


延岡市大貫町、田んぼの中にポツンと一軒家……じゃなくて、貨車。
なんで?どうしてここに?と思われる方も多いのでは。

持ち主は同市松山町の甲斐義則さん(寿商会社長)。

今から25年ほど前、自分の水田に自社PRの看板を立てようと思い、どうせならユニークなものにと、貨車を置くことにしたそうです。  

当時の国鉄大分鉄道管理局へ出向いて交渉、三拝九拝して、ようやく譲り受け、土台のレールと枕木は土々呂駅に保管してあったものを分けてもらったとか。   
かくて貨車は、大分から貨物列車に連結されて延岡駅に到着。
延岡駅から現在地へはセンコーが輸送を担当、当時、一面の田んぼだった一角が〝移住先〟となったわけです。
設置に要した費用は約150万円ナリ。高かったのか、安かったのか。

初めは子どもの学習資料や倉庫代りに使うことなども考えたそうだけど、結局はこれといった用途もなく、単なるモニュメントとして現在に至っているというわけです。

 
この貨車、正式には「ワム80000型」といい、国鉄が1960年(昭和35年)~81年(同56年)にかけて2万6605両生産したうちの1両で、69年(同44年)に日本車輌輸送機工業で誕生しています。
新小岩(東京)や新潟、そして大分をベースに活躍、動物や穀物、機械類など多種多様な貨物を運搬してきたのです。
 
現在、JRとJR貨物はコンテナ化を進めていて、ワム貨車は減少の一途をたどり、全国で約650両が〝最後の奉公〟をしているところです。日豊本線も例外ではなく、見かけることはほとんどありません。これも時代の流れでしょうか。  
で、大貫の〝ワムさん〟の周辺も、25年の間に大きく様変わりしまして、約100㍍東側には、この3月に完成したばかりのピッカピカの延岡市消防本部・署の庁舎があり、赤サビの浮き出た姿をさらけ出しているワムさんと異様なコントラストを見せていますが「庁舎より私の方がずっと先輩だ」といわんばかりに、悠然と立っています。  

ところが、ここにきて甲斐さん「ITオークションに出しちょっとですわ。痛んだところを修理して塗装も考えております」。エエッ、ひょっとすると、ここがワムさんの安住の地じゃなくなるんですか?……。