模型飛行機作りの名人

少年に夢を与えた模型飛行機作りの名人 故・島崎洋さん、故・日吉喜男さん

 

 エンジン機を多数製作
昭和20年代から30年代にかけて、飛行機模型を数多く手がけ、当時の延岡の子供たちに夢を与えた人がいた。故・島崎洋(しまざき・ひろみ)さん、故・日吉喜男(ひよし・よしお)さんがその人。
この時代、ゴム動力の模型飛行機作りが小学校の理科教科書に採用されていたこともあって、街のあちこちで模型機を飛ばす子供たちがいた。特に延岡は、日本初の一等飛行士・後藤勇吉氏の生誕地だけに、模型機作りが盛んだった。
そんな子供たちは、島崎さんと日吉さんが小型エンジン搭載した模型機を飛ばす姿に、目を見張った。エンジン機を飛ばす人はほかにも多数いたが、島崎さんと日吉さんは、製作機数や大きさ、精巧度など群を抜いていた。

県内ラジコン機の草分け
当時はUコン(Uコントロール)といって、長さ数メートルから20数メートルの細いワイヤーロープかピアノ線2本を機体に取り付けて操作した。機体は操作する人を中心に、大きな円を描いて回るだけだが、機体を上下させたり、宙返りさせたりでき、Uコン機は子供たちのあこがれの模型機だった。
島崎さんと日吉さんは、ホビー用ラジコン(ラジオ・コントロール)機でも県内のトップを走った。ラジコンバスがやっと出回った昭和30年代、いち早くラジコン機を導入、これも、子供たちを驚かせ、感動させた。
島崎さんは山下町で鍛冶業の「片常鋸刃物店」を経営、優秀工芸技術者として県から「みやざきの匠」にも認定されていたが、平成16年、82歳で亡くなった。


 島崎さん父子で 「富士」号模型
「父は後藤勇吉にあこがれていまして、20年ほど前に作った勇吉の愛機『富士』号の模型は、父と私の合作です」と、息子の一(はじめ)さん(58)。
一さんは、父・洋さんの後を次いで鍛冶業を営む一方、ラジコン飛行機・ラジコンヘリなどを扱う模型店も経営している。現在、延岡ラジコンクラブの会長を務め、後藤勇吉延岡顕彰会の常任理事でもある。

精巧度抜群、故・日吉さんの模型
日吉さんも小学校のころから模型作りが好きで、中学校から高校にかけては、銅版を細工してトラックや乗用車を本物そっくりに作ったり、山に入って桐の木を切ってきては、飛行機のソリッドモデルを作るなどしていた。
向洋高(現延岡工業高)を卒業して間もなく、構口町で電気店を経営しながら、図面を書いては多数の模型を作った。その精巧な出来ばえは他を寄せ付けなかった。街ではダンディボーイとして知られ、一人で4、5人の女性を相手にジルバを踊りこなすほどの人だったが、46年前、30歳の若さで世を去った。延岡の模型機界にとって大きな損失だった。
弟の規夫さん(73)は「兄は模型を作っては壊し、作っては壊しの連続でした。兄の模型つくりをずいぶん手伝いました。Uコン機を飛ばすときは、助手が必要ですから、私は(エンジンのかかった)飛行機の方を持たされていました」と、当時を懐かしむ。

「飛燕」模型は傑作中の傑作
規夫さんは、構口町で理髪店「ヘアーサロンひよし」を経営。店内には兄・喜男さんが銅版で作った自動車「トヨペット」と「フォード」、それに旧陸軍の三式戦闘機「飛燕」(ひえん)、英国戦闘機「スピットファイア」が展示されている。
中でも「飛燕」は傑作中の傑作で、アルミ板を見事な板金技術で加工し、本物に忠実に再現している。全長85センチ、主翼幅120センチ。米国戦闘機「グラマン」の製作にも取り掛かったが、未完成のまま亡くなった。
昭和30年代、後藤勇吉飛行士をしのぶUコン機大会には、島崎さん、日吉さんのほかに、北小路にあった「延岡モデルストア」店主で故・近藤勇さんら、模型機名人たちの姿があった。