胃がんで「余命半年」と宣告

胃がんで「余命半年」と宣告され、妻と八十八ヶ所を願掛けして回った。

手術は成功。お礼も込めて翌年から八十八ヶ所の整備に取りかかった。

献身的に八十八ケ所を守ってきたのが、中井一萬(なかい・かずま)さん(59)だ。 

42歳の時、「胃ガンです。余命は半年」と宣告された。娘2人と息子1人を抱える働き盛り。延命するには、胃を全摘するしかなかった。
手術前の一週間、妻の和代子さんと2人で、八十八ケ所を願掛けして回った。体重が激減し弱った体に鞭打ち、毎日8〜9時間かけて苦行に挑んだ。
手術は成功、転移もなかった。「もう少し生きられるかな」と思った。
翌年から、八十八ケ所の整備にとりかかった。元気になったお礼もあったが、年2回の大師祭時ぐらいしか行かなかった八十八ケ所が、一週間歩き通す中で、廃れかけていると感じたからだ。「地域のみんなが守ってきた文化財。これからは一人でも直していこう」と、斧やスコップを手に山に入った。
漁休みを使い、道案内の看板を立てたり、生い茂った雑木を払ったり。参拝者の目を楽しませようと、ツツジを中心に植樹も始めた。その数は既に300本を超えている。
中井さんの献身的な行動は、地域にも伝わった。一番札所に弘法大師像を建立する話が持ち上がり、中井さんが総責任者に選ばれた。地区民や県外にいる出身者から約950万円の浄財が集まった。阪神大震災で被災した出身者からの寄付もあった。平成7年(1995)8月17日、数百人が集い開眼法要が行われた。
翌年1月、朽ちかけ危険だった88番札所の大師堂も建て替えられた。地区外からの参拝者が徐々に増え始めたのは、このころからだ。
中井さんは、真言宗の総本山・高野山(奈良県)に行き、ご詠歌やお経を覚え、法要などで唱えられるようになった。八十八ケ所大師祭は平成21年(2009)、宮崎県の「一村一祭」に選定された。市も昨年、補助事業で参拝路を整備してくれた。
中井さんは言う。「地元での仕事が少なくなり、やむなく県外に出ていった出身者が、『故郷にはこんな立派な宝があるんだ』と誇りに思ってくれる場所にしていきたい。体が続く限り、細々ながら守っていきたい」。中井さんはきょうも、自作の金剛杖を手に遍路道に入る。