延岡百景〜2010年3月号〜
 

  延岡平野には、先人が残してくれた農業用水路が網の目のように張り巡らされています。特に有名なものが「出北用水」です。牧野藩時代の享保9年(1724)、家老の藤江監物は、郡奉行の江尻喜多右衛門に命じて着工しました。
 岩熊の地に堰(せき)を設け、そこから水路を出北地区まで引くという大工事でした。予想外の難工事と洪水で費用がかさみ、監物は捕らえられて獄死するなど、不幸な出来事に見舞われましたが、享保19年(1734)、10年の歳月を費やして完成しました。
 当時の灌漑(かんがい)面積は約131町歩(131㌶)。「雲雀(ひばり)の巣」「雲雀野」と揶揄(やゆ)された出北の荒れ地は、美田に生まれ変わり、人々は窮乏生活から解放されたということです。
 藤江監物と江尻喜多右衛門は、出北観音堂にまつられ、着工から200年経た大正13年(1924)、従五位が追贈されています。

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