県北雑学

東日本大震災、多くの人命救った高速道路、東九州道にも避難場所設置を

 高速道路に対する認識が一変


3月11日午後2時46分、大地震発生。しばらくして東北地方の沿岸には、波高数メートルから10メートルを超える大津波が押し寄せた。津波は宮城県仙台平野にも押し寄せ、住宅や田畑、仙台空港も大波の中に次々と消えていった。

避難場所になった仙台東部道路


このとき、海岸線から2、3キロ離れた仙台平野中南部では、逃げ場を失った人がたくさんいた。そんな平野の中を、仙台東部道路(自動車専用道路)が万里の長城のように貫いている。
人々は危機迫る状況の中で、一目散に仙台東部道路へ向かって走った。フェンスを乗り越え、道路の盛り土の法面(のりめん)を這い上がり、ほうほうのていで道路敷にたどり着いた。間一髪、6メートルほどの高さに盛り土された道路が防波堤となって、津波を食い止め、多くの人命が救われた。もしこの道路がなかったら、もっと多くの人命が失われたばかりか、仙台、名取、岩沼の各市街も水浸しになったかもしれないという。

「くしの歯作戦」で物資や救助隊輸送


この大災害で、高速道路は津波の避難場所としてだけでなく、震災直後の救援物資、人命救助隊輸送でも大活躍した。高速道路の被害が比較的小さかったことも、効を奏した。
救援物資輸送隊や人命救助隊は、まず東北自動車道(国道4号を含む)を通り、各インターチェンジ(IC)から一般道路に入って被災地へ向かった。これを国土交通省は「くしの歯作戦」と名付け、沿線の県や自衛隊が協力した。
こうしたことが、高速道路や自動車専用道路に対する国民の認識を、大きく変えることになり、〝高速道路不要論〟を唱えていた人たちも、一気にトーンダウンした。

日向灘に沿って走る東九州自動車道


さて、県北を通る東九州自動車道の大部分と国道10号延岡道路が、間もなく開通する。災害時の避難所になるような設計はされていないが、「地震の巣」といわれる日向灘に沿って抜ける道路だけに、地震・津波などの非常時には、避難場所として利用できるような方策も必要になってきた。
ちなみに、延岡市北浦町の古江漁港から北浦ICまでは約1キロ、延岡新港から延岡南ICは約2キロ、門川湾から門川ICも約2キロ、日向市小倉ケ浜から日向ICは2キロ弱。いずれも海岸からICまでは、ほとんど平坦。数メートル以上の津波なら到達するものと思われる。

 

 

 高速道路の縁の下の力持ち

 私たちが何気なく走っている高速道路や自動車専用道路。その道路には、ケーブルや電線がたくさん通っているのをご存知だろうか。
街路灯など照明用や建物の配線用の電線をはじめ、可変速度規制標識、情報版、監視カメラ、気象観測の端末、受・配電設備、電話などさまざまな電線やケーブルがそれ。
もっとも、これら電線やケーブルはすべて地下埋設されているため、気付かないのは当たり前だが、どれ一つとっても高速道路や自動車専用道路を維持・管理するために不可欠なものばかり。
例えば風の強い日、風速計が強風を観測すると、道路管理事務所にそのデータが送られ、事務所は「横風注意」などの信号を情報版に表示して、通行車両に注意を喚起する。特に県北は冬場に風の強い日が多く、高速道路が開通すれば、「横風注意」の表示をたびたび見かけることになるだろう。
こうした施設・設備を保守・点検する人たちは、365日、24時間休む暇がない。ケーブルや電線と、その維持・管理を担当している人たちが、高速道路を安全で快適に通行できるよう守ってくれているのだ。まさに、縁の下の力持ちなのである。あとは道路を利用する人の安全運転とマナーだけ。