八十八ヶ所のいわれと御利益。

北浦町史などによると、江戸後期、宮野浦地区では疫病や火災が頻繁に起こっていた。
当時、京阪地方との交易で莫大な富を得た宮野浦の住人、中野忠五郎が文政9年(1826)、四国八十八ケ所を模し、小豆島で御影石に刻んだ88体の大師像を千石船で搬入、地区民あげて安置した。その際、それぞれの札所からお砂(土)を運び、四国と同じ順番になるように配置を決め、お砂をまき、寺の名前を付けていったという。
無病息災、家内安全、航海安全。子孫長久のほか、火伏せの御利益もあり、以来、宮野浦地区では大火が発生していない。
四国八十八ケ所は、四国にある88カ所の弘法大師(空海、774〜835年)ゆかりの札所の総称。
真言宗の開祖である弘法大師は讃岐(香川県)の出身で、青年期には四国各地で山道修行を行っている。その後、修行僧らが大師の足跡をたどって遍歴の旅を始めたのが遍路の原型とされている。
八十八ケ所を「通し打ち」で巡礼した場合、全長は1200〜1400キロ。徒歩の場合で40日程度、観光バスや車を利用しても10日程度を要する道のりという。

 

宮野浦八十八ケ所

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