北川町ってどんなとこ

旧北川町は古代より陸路、水路の要衝にあたり、奈良・平安時代には駅制による日向最北端の駅として「長井駅」が置かれていた。

江戸幕府成立前後に長井村と川内名村が置かれ、藩の任命による庄屋によって管理されてきた。明治の廃藩置県以降は、度々所属県が変わり、明治16年(1883)に鹿児島県から分離再置された宮崎県に属し、翌年、長井村と川内名村が合併し、明治22年(1889)の町村制実施により「北川村」となった。

大正末期から昭和初期にかけては、特に木材・木炭の生産が盛ん。昭和22年(1947)には町内全戸の3分の1が製炭業に従事し、最盛期には年間6000トンの生産量で県下一となった。

昭和47年(1972)11月1日に町制を施行。平成19年(2007)3月30日に延岡市と合併するまで112年におよぶ歴史を刻んできた。

扇状に広がった地形をしており、総面積279・91キロ。そのうち山地部が92%を占め、河川を含む平野部はわずか8%しかない。

北西部一体は、九州山脈の一部を形成し、600メートルから1600メートル級の山岳が連なり、東南部は200メートルから500メートル程度の山陵で海岸と隔たっている。

河川は大分県佐伯市宇目町に源を発する北川本流と、延岡市北浦町三川内に源を発する支流(小川)が町中央部で合流して南下し、さらに大崩山、五葉岳に源を発する祝子川とともに東海河口で五ケ瀬川と合流し、日向灘に注いでいる。

平成23年3月1日現在の人口は、4088人。